最近のお気に入り
最近は、平原綾香とか聴いてます。
あとは、一青窈とか、昔を思い出してQueenとか。
フレディ・マーキュリー。惜しい人を亡くしましたねぇ。
女性の方に多いのかもしれませんが、歌詞に自分の立場や気持ちなどを置き換えて考えるということは、僕はあまりしません。
ある意味、歌詞はあまり気にしてません。
心地よいメロディーや声、音に気持ちを乗せて、何も考えずにゆったり聴くのが好きです。
何も考えずにボケーっと。
しかし、いつ以来だろう、こうやってノンビリと音楽を聴くことができるようになったのは。
もう、十年近く経つのかもしれません。
最近は、音楽を聴くためだけの行為というものはすっかり無くなっていた。
これでも昔はバンドでドラムを叩いてたこともあったのですが。
先日の日記に、「一人の時間も楽しめる」というようなことを書いた。
人は、悲しい時、落ち込んだ時など、友達と一緒にいたり、何かをして気を紛らわすことが多いと思います。
人は、誰しもが不安や悩み、自分ではどうにもできないものを背負っていたりすると思います。
今でこそ、のほほんとした日記を綴っている僕ですが、過去にはいろいろなことがありました。
ここにはとても書けない修羅場もくぐって来たし、精神を崩壊させられる一歩手前までに理不尽な攻撃を受けたこともあります。
それらを乗り越えて、今の僕があるわけです。
僕は、辛い時、苦しい時に泣いたことがありません。
泣くことができません。
泣けたら楽なんだろうなって思ったりもします。
それらを乗り切るために、他人に弱みを見せたこともあるし、他人に頼ることもあった。
独りになると、その不安や苦難に押しつぶされそうになってしまうため、気を紛らわせる為に他人に頼ったりするのだと思います。
独りになるのが怖いんだと思います。
しかし、疲れた時に栄養ドリンクを飲み、無理やり元気を出すのではなく、疲れそのものを取る方がいいように、僕は苦難に自分自身で向き合い、自分で解決する努力をしてきたつもりです。
もちろん、そのきっかけを与えてもらったりはしましたが。
一人の時間を楽しめるってことは、素晴らしいことなんだなって思うようになりました。
何も考えなくても済む時間が持てるということは、幸せなことなんだと思います。
いろんな意味で、ゆとりにも繋がるでしょう。
自分にゆとりが無いのに、他人に対してどこまで何をしてあげられるか。
自分が苦しい思いをしたぶん、他人の苦しみもわかる。
自分が痛い思いをしたぶん、他人の痛みもわかる。
そんな人になりたいなと思う。
そんな所存。
ちなみに、僕は文章を見直したり書き直したりすることはほとんどありません。
今日の日記も、思いついたことをそのまま文章にしただけなので、文章のつながりとか意味とがわけわからんことになってると思いますが、ご了承くださいませ。